中津藩主。福岡藩主。幼名/松寿丸。通称/吉兵衛。甲斐守。筑前守。
黒田官兵衛孝高の嫡男。幼少時代を信長の人質として羽柴秀吉の近江/長浜城で過ごす。
父/官兵衛が荒木村重に監禁され、信長に寝返りを疑われたとき、竹中半兵衛の手で匿われたと言われている。
初陣は天正十年の毛利攻めで、翌十一年の賤ヶ岳の合戦で戦功があり、秀吉から河内国に四百五十石を与えられた。
同十二年の小牧/長久手の戦いでは、根来/雑賀の一揆から大阪城を守り、二千石の加増を受ける。
同十五年の九州征伐でも武功を立て、父とともに豊前に移された。
同十七年に家督を相続し、豊前/中津十二万石の領主となり、従五位下甲斐守に叙任。
文禄/慶長の役では渡鮮し、数々の武功を立てた。
慶長五年の関ヶ原合戦では逸早く東軍に属し、秀吉子飼いの諸将のまとめ役となった。
特に福島正則の取り込みと小早川秀秋の調略に暗躍した言われている。戦闘では石田軍と激戦。島左近を討ち取った。
戦後は筑前/福岡五十二万石の太守となり、同八年には従四位下筑前守に叙任。
慶長十九年の大阪冬の陣では江戸城の留守居。元和元年の大阪夏の陣では小兵を率いて徳川秀忠に配した。
同九年、京都で死去。
蜂須賀正勝の息女と離婚し、家康の養女を娶り、度々の普請や鎖国令の順守など、外様でありながら徹底して徳川氏への恭順の姿勢を貫いたため厚遇を受けた。